今日は一限から専門学校での講義なので都心に向かっていた所、踏切での事故で某路線の大部分の区間がストップ!とんでもない遠回りの電車中でこれを書いています(いつも授業の30分以上前(ギャラ対象外)には着いて授業準備してるのに、今日は遅刻確定。悲しい)。
しかし、1カ所の踏切が事故っただけで、数十〜数百万人が混乱するとは、やはり都市機能とは脆いものだと実感します。
来年は地下鉄サリンから30年ですが、オウムの実行犯は「自分が逃げられるよう」電車内でサリンの袋を破ったので、あの大惨事であってもまだ「限定的」と言える被害でした。
もし、都内の数カ所の路線を故意の事故でストップさせ、足止めされた人が溢れかえる各ターミナルでテロが行われたら…。
はるかに甚大な犠牲が出るはずで、考えただけで背筋が凍ります。
今や、30代半ば以下はリアルタイムでオウム事件を知らない世代。
直接のテロこそ起こしていないものの、選挙のシステムを濫用するなど常識から遊離した集団が、一定の「支持」を集める構造などは、ある種オウムとそっくりです。
地下鉄サリンから30年にあたっては、単に出来事のプレイバックだけでなく、当時を知らない世代も交えた(むしろメインにした)再考察が必要と感じます。
ああ、まだ電車は着かない…。